HOME > 当館について

趣旨及び沿革

創立者 小林昌治氏
佐竹義春侯

千秋文庫は、旧秋田藩主の佐竹家に伝わる数多くの貴重な文化史資料を一堂に集めた博物館です。

創立者の小林昌治は、佐竹家34代当主、佐竹義春侯爵の厚い信任を得て、同家の家令職を勤めました。 太平洋戦争の戦火が広がる昭和17年2月、義春候は所蔵の大部分の資料を小林氏に譲渡し、後世に伝える文化財として永久保存するように懇請されました。

戦時中は、空襲から難を逃れるために、資料を地方に疎開させ、衣食にすら事欠く戦後の廃墟の中で、資料の保管場所を確保するなど、膨大な資料の散逸・紛失を防ぐため大変苦労しました。

私財を投じ、約40年経った昭和56年7月、ようやく長年の夢であった千秋文庫を設立しました。 そして翌年、 小林は静かに息を引き取りました。

千秋文庫は、中世から近世にかけての武家の興亡の歴史を垣間見る事が出来る資料、約2,300点を順次公開しています。


館名の由来

「千秋文庫」の館名は、秋田県秋田市にある「千秋公園(せんしゅう こうえん)」 に因み、名付けられました。

千秋公園は、慶長七年(1602)に常陸国から出羽国へ国替えとなった初代秋田藩主 佐竹義宜公によって築城された久保田城の本丸・二の丸跡地に整備された都市公園(総合公園)で、秋田の「秋」に 長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものと言われています。命名者は、秋田県出身の漢学者・狩野良知です。

佐竹義春侯
創立者 小林昌治氏

千秋文庫は、旧秋田藩主の佐竹家に伝わる数多くの貴重な文化史資料を一堂に集めた博物館です。

創立者の小林昌治は、佐竹家34代当主、佐竹義春侯爵の厚い信任を得て、同家の家令職を勤めました。 太平洋戦争の戦火が広がる昭和17年2月、義春候は所蔵の大部分の資料を小林氏に譲渡し、後世に伝える文化財として永久保存するように懇請されました。

戦時中は、空襲から難を逃れるために、資料を地方に疎開させ、衣食にすら事欠く戦後の廃墟の中で、資料の保管場所を確保するなど、膨大な資料の散逸・紛失を防ぐため大変苦労しました。

私財を投じ、約40年経った昭和56年7月、ようやく長年の夢であった千秋文庫を設立しました。 そして翌年、 小林は静かに息を引き取りました。

千秋文庫は、中世から近世にかけての武家の興亡の歴史を垣間見る事が出来る資料、約2,300点を順次公開しています。


館名の由来

「千秋文庫」の館名は、秋田県秋田市にある「千秋公園(せんしゅう こうえん)」 に因み、名付けられました。

千秋公園は、慶長七年(1602)に常陸国から出羽国へ国替えとなった初代秋田藩主 佐竹義宜公によって築城された久保田城の本丸・二の丸跡地に整備された都市公園(総合公園)で、秋田の「秋」に 長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものと言われています。命名者は、秋田県出身の漢学者・狩野良知です。